安徳天皇陵墓参考地

  • 2019.05.13 Monday
  • 21:25

五月一二日(日)に高知県越知町の横倉山にある安徳天皇陵墓参考地へ行ってきました。

高知市から車で約1時間走ると横倉山入り口に着きます。

入り口から車で横倉山を登り約20分くらいで(織田公園)展望台に着きます。

何度かブログで紹介しましたが、ここは私にとって何十回もこの場所を夢に見て、やっと見つけた場所

なのです。初めてこの山を見つけて車で上がっていると、悲しくも無いのに涙がポロポロと出てこの

景色を見たときは夢と同じだったので感激しました。

ただ夢では、この付近はただっ広い大地で草が沢山生えていましたが、夢でも肌寒く空気の綺麗な場所

でした。(又ここへ来たといつも思うのでした。現実的にはこの場所は知らなかったのですが)

この横倉山は、標高800mで頂上には横倉宮があり、ここから未だ車で7〜8分上ります。

しばらく上がると第2駐車場があり、もう少し上に上ると第3駐車場と広い駐車場があります。

車を止めて、30分ほど上ると頂上の横倉宮に着くのです。

 

登山口にマムシ注意の看板を見る。

すると早速、黒いマムシが前を横切った。一瞬だったので撮影できなかったのですが、娘に気をつけろと

言うと、頭が三角の黒マムシがシュルシュルと横切ったのです。

早速、蛇が迎えに来てくれた、縁起が良いかも・・・・

このようなマムシですね・・・(ネットより拝借)

そしてこのような赤マムシの赤ちゃんのようなマムシも道中何度か見かけました。

10分ほど上ると杉原神社に着きます。

大杉が生い茂る杉原神社です。

天然記念物に指定されている大杉2本。幹周7.4mと6.6m・樹高35mと圧倒される太さです。

ここが平家の宮の鳥居です。

 

(杉原神社)

この場所に安徳天皇を護衛して来た従臣80余名の墓祠があり、横倉宮の摂社、末社として祭祀

されている。

小松少将有盛(平重森の四男)小松新三位中将資盛・・・多分このあたりが私の先祖のように思います。

(平家の宮)

 

 

 

 

 

 

 

ここから安徳天皇陵墓参考地まで1kmです。

やっと横倉宮の鳥居です。もう一息でここまで来ると汗びっしょりで、私は下着のシャツ一枚に

なり、いつもこの鳥居を抜けると急に空気が変わり神様近いと感じるのです。

神様お久しぶりです、ご無沙汰してました。今日は天気も良く気持ちよく来られました。こんな格好で

申し訳ないですが、礼和元年になりましたおめでとうございます、・・・等とご挨拶する。

初めて神様の声を聞いた私にとっては、忘れられない大切な神社なのです。

神様にお断りして、中を撮影する。夢でもこの広い階段は全く同じで覚えています。

夢ではこの2階から馬鹿試しの景色は見えたのですが、現在は見えそうにも無いです。

頂上の馬鹿試しからの景色です。

足場の悪い岩の先に立って景色を見るから馬鹿試しでしょうね。一歩踏み間違えば転落して即死です

よ。(やっぱり私は馬鹿でした)(^_^)

ここが2階の屋根だから、夢では2階からいつもこの景色が見えたのですが、現在の2階からでは

景色は見えません。昔はもう少し高い場所にあったのではと思いますけどね〜・・・・

私が何度も夢に見た2階の場所は、とても見晴らしが良かったので、多分立て替えられたのだと

思います。

横倉宮から10分ほど行くと、安徳天皇陵墓地にたどり着きます。

この石段を登ると陵墓地で、この付近から厳かな空気が漂います。・・・・

安徳天皇陵墓地です。ここへは何度も来ますが不思議にここでは誰とも出会わないのです。

来る道中や帰る道中では、すれ違う人も居るのですが、私がここに来たときは誰もいないのです。

 

柵内は立ち入り禁止なのですが、誰も居ないので神さまにお断りして入らせて頂きました。

お酒をお供えするためにです。

 

安徳天皇が乗馬練習された「御馬場跡」だそうです。

壇ノ浦の戦いの後、平家一門に守護されながら山伝いに源氏から逃れ、1数ヶ月、やっとこの

地に着きて、ここを終焉(しゅうえん)の地とされたが、正治二年(1200年)に御年23歳で

崩御しこの地に埋葬される。天皇が従臣らと蹴鞠をされた所と伝えられている。

高知県内では唯一の宮内庁所轄地として陵墓守を配置している。

 

私が何度もこの地を夢に見、とても懐かしく感じるのは私のご先祖様の記憶が遺伝したのかも

知れない。又、道すがらの景色も懐かしく感じ、何も悲しくないのに涙したのも、私の守護霊の

感激の涙ではなかったのかと、色々と思いを馳せるのです。

安徳天皇様に「二礼二拍手一拝」をし、安らかにお眠り下さいと手を合わせ、ご先祖様におかげ

様で、子孫は沢山増えて平穏に暮らせていますので、ご安心下さいと・・・

又、益々の子孫の繁栄をお守り下さいとお願いする。

今日は天気も良く、気持ちよくお参りが出来ました。

ここに来ると疲れるのですが、帰りは清々しい気持ちになり、来て良かったといつも思うのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

では又・・・・管理人。

 

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コメント
でかぼめ様いつもコメントありがとうございます。
私のブログが楽しみですか(笑)ありがとうございます。
このようなコメント嬉しいですね。書いて良かったと思います・・
歴史や、物語なんでデタラメが多いと思いませんか?私がブログで暴露してますけど(笑)
私の記事は長いので、毎日のように更新が出来ませんから、ランキングは低いですけど、楽しみに見てくれてる方は多いように思います。
この場所は、耳なし芳一伝説もあり、山や花の好きな方にも人気があり観光バスも時々見かけます。
時間がとれましたら、是非一度来てみてください。
源平合戦で敗れ屋島から1年数ヶ月も逃れながらここまで来て、ひっそり隠れながら平家の血筋を絶やさぬようにと、隠れ生活して来たことを想いながらこの山を登ると、考え深いものがありますよ。もし源平合戦で平家が勝っていたなら天皇の血筋も今とは違うと思いますね〜・・・・色々想像すると面白い。
歴史の運命を感じさせられます。
  • 管理人より
  • 2019/05/15 6:45 PM
すみません、訂正です。
安徳天皇とご一緒された80人余りの方の名簿を再度みると、女性の名前も含まれていました。
古墳(お墓?)が残っているだけで78名?
名もない人たちもいれると、やはりちょっとした集団に変わりありませんね。
平知盛や、平経盛の名前も入っていたので、うわぁと思いました。壇ノ浦の戦いなど一連の源平合戦で戦死されていたとばかり、、、
小松さんのご先祖と思われる資盛さんも戦死していたと思っていました。
平家物語はやはり「物語」なんですね、、、

以上のことは、京都大原にこもっていた建礼門院さんはご存知だったのかなあとか、いろいろと考えてしまいます。。。

お金と時間ができたら、安徳天皇陵参考地に是非行ってみたいです。大学生二人をもち、仕事もある程度の責任があるので、今はなかなか。。。残念です。
  • でかぽめ
  • 2019/05/14 4:16 AM
白いお狐さんについてのコメントをさせていただいた後も、平凡な日々が続いています。
ところが、四月末ぐらいから、こちらのブログを読まないといけないような気がして、今回の更新を楽しみにしていました。

安徳天皇陵墓参考地は、宮内庁の所管なんですね。ある種のお墨付きですね。
そして、安徳天皇に、判明している武士だけで80人以上もお付きがいただなんて、驚きです。女性や下僕の人たちもいれると一体何人の方々がいらっしゃったのか。よくもまあ、源氏政権に見つからなかったものですね。。とても山深いところなんでしょうか。

小松さんは、夢の中の光景を見つけることができたのですね。不思議ですね。
私にはそのような経験はありませんが、人生で窮地に陥るとなぜか平家物語、特に壇ノ浦の章あたりを読んで、覚悟を決めるのです。
私も、平家ゆかりの前世があったのかもしれません。こう考えると幻想的ですね。
  • でかぽめ
  • 2019/05/14 3:58 AM
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